私が初めてこのMVを見た時、
身体中の今までに降り積もったネガティブな感情が、サーッと抜けていく感覚を覚えたものです。
「これは何なん?!」
と雷を受けたような衝撃を受けると同時に涙も出そうになり。
今更ながらですが、この感動はどこから来るのか?
なぜこんなにも心が揺さぶられるのか?を
風さんの歌とMVの両方から、私なりの目線で検証して行きたいと思います。
MV「帰ろう」のデータ
- 2020年5月リリースの1stアルバム
「HELP EVER HURT NEVER」の中の収録曲。
- 9月4日にYou Tube でプレミア公開される。
- 監督は児玉裕一(椎名林檎、東京事変、Perfumeの映像を手がけている、映像ディレクター。椎名林檎さんの配偶者)
感動させる3つのもの
このMVを見て心が震えたのは、私だけではないでしょう。
その理由として私が思うのは、
一つは、藤井風さんの書いた歌詞が、誰もが抱えている問題を解くヒントを表しているからだと思うのです。藤井風さん自身が、
- “風”のように自由に表現している
- 何でも肯定できる大きな器
- 全てを理解しているかのような言動
- 自然体
な人なので、(若干23歳で(2020年当時)、この人格はあり得ないです!)
その彼が、人生最後の私たちのイベントの、ある意味、理想形を、優しく提案してくれている。それがこのMVだと思うのです。
二つ目は、「音」としての藤井風さんの
「脱力ボイス」!
脱力というとマイナスな事と取られるかもしれませんが、言い換えれば、「力んでいない」「肩肘張ってない」という事です。
吹き抜けていく風のように、自然な形で存在しているもの。だから風さんの歌声は、身体の中に浸透していく感じがして、耳に心地良いです。
出だしの「あなたは夕日に溶けて」の「あ」は、「はぁなたは夕日に溶けて」と聞こえて、ため息のような脱力さ加減がこの歌の、声高に何かを主張するような物ではない、すぐ隣で語りかけるような歌に最適な歌い方と声なのではと思います。
「爽やかな風と帰ろう」の「ろう」のファルセットも透明感がある歌声ですね。
「音」としてもう一つ「アレンジ」(編曲)もその要素の一つです。
「映像」と「歌詞の意味」に合わせた「音たち」が効果的に重なって、私たちは「感動」に持っていかれてしまう。
CDにはCDのアレンジ(編曲)があり、MVにはMVに最適なアレンジがあって、実際MVの音は、CDのものより多様なアレンジがされているように聞こえます。サビに向かって徐々に高まっていくように作られています。
そして、三つ目は、映像ディレクター児玉裕一さんの創る「藤井風の世界」。
藤井風さんの歌のテーマを、これ以上ないくらいベストな映像で視覚化して見せてくれて、この人たちはいったい何者だろう?と。
風さん自身も、
この曲を深く理解して、様々な素晴らしいアイディアを出してくださって、最終的にこの曲にとって完璧なMVを創っていただきました
“帰ろう”って何なん Kaze talks about “Kaerou”より
とおっしゃっていました。
皆んなが必ず避けては通れない最後の時を、見ないフリして、視線をずらして生きているけど、そうじゃないよ、ちゃんと見ようよ、と風さんは誘ってくれてる。しかも、どんな人にも分かりやすい言葉とメロディで、耳で聴こえる「歌」として、眼で見える「MV」として、世に出してくれました。
皆んなの奥深くに息づく「本質」を思い出させることだからこそ、こんなに感動するのではないか、と私は思っています。
出演されてるキャストの方も個性的な方たちばかりで、作品をいっそう引き立てています。
ちなみに、ロケ地は、茨城県神栖市のJFE条鋼の鹿島製造所内だそうです。
MVの中では、終始、雲が覆いかぶさる曇天の中、全体に流れる無機質な日常感の中で
ポツリポツリと作り手側から放り込まれるメッセージ。
それを私なりの解釈で紐解きながら、MVに流れるストーリーの意味を探っていきたいと思います。
感動は気持ちを解放させる
人には、「感動」の波が押し寄せてくるポイントがあります。
例えば、美しい風景を見た時とか、優しい言葉を聞いた時とか。視覚だけでなく、そこに音が加わるとさらに感動は広がります。
「帰ろう」MVの中にも、私自身が感動したシーンがいくつかあります。
それは、歌が最も盛り上がる「サビの部分」でした。そこに、最適な映像が被せてあって、何の自覚もなく、いやが応でも観るひとを感動「させて」しまうのです。
でも、それが風さんの伝えたいメッセージの価値を、倍増させています。
時に「重たい」雰囲気をまとって、私たちの生活の中で息づいているテーマ、「死」というものを、風のように爽やかに、私たちの気持ちの奥底に届けてくれる。
その時、私が感じたのは、
「気持ちの解放」
でした。
ごちゃごちゃと色んな思考が、渦巻いていたのが、風にあおられて跡形もなく消え去っていく感覚。
このあと実際に、MVをふりかえってみます。
もう見たから充分という方は、飛ばしてください(笑)
MVのストーリー解釈と気持ちの「解放」シーン
冒頭のシーン。
色んな「カテゴリー分け」されている人たちが一塊になってる状況から、
みんなそれぞれ、ゆっくりと歩きながら広がっていきます。カテゴリーは、
- 女子高生、
- 赤い風船を持った子供、
- 初老の夫婦、
- 手を繋いだ若い恋人たち、
- 社会人風の男性、女性、
- 旅支度の女性、
- 松葉杖をついている男性、
- 人生を斜に構えている感じのやさぐれた男性。
一人一人がそれぞれの個性を持ち、人生を歩んでいる。
その中に、たくさんの荷物を積んだソファを押して歩く風さん本人。
持っている荷物は、人生の中で得た肩書きなどの「見える物」か?
目に見えない「自己否定感」や「虚栄心」か?
みんな色のない灰色の世界を無表情で歩いています。
そのうち曲がアップテンポに変わって、ソファを押しながら走り出す風さんが、周りの人を追い越して、一人全力疾走していく。
音楽も徐々に高まっていって
「解放」のシーンその1
助走をつけて勢いよくダイブして仰向けにソファに倒れ込む風さん。その時の歌詞はサビの
「全て忘れて帰ろう」
言葉通り全てを忘れて、自由になった風さんの表情は「解き放たれて」います。
鑑賞者も、音と映像の効果で、気持ちが「解放」された瞬間。
ゆっくりと回るソファに横たわる風さんは、心も身体も、丸ごと大きな何かに委ねているかのように、無重力な空間に漂っています。
人生を生きていれば、色んな感情が心にこびりついているけど、
もうどうでも良いよ、すべて流し去っていこう、と歌と映像で語りかけられている感覚。
そして、2番の歌詞が始まる直前に、道の上に投げ出される、「荷物」の数々。
これは、おそらく風さんが意識的に「落とした」のでしょう。
心が自由になって「物」も捨てていく、どんどん身軽になっていく様子を表しているよう。
歩いている人たちも、心が軽くなったようで笑顔が見られます。
いつ来たのか、皆の前に停まっていた白い車から降りてきた、頭のてっぺんから足の爪先まで白ずくめの男性は、「天使」を表現しているのか、一足先に向こうの世界に帰っていった人の象徴なのか?
「それじゃ、またね。」
とニッコリ挨拶して車で走り去っていく。
それに微笑んで手を振り返す風さん。
その車を見送る子供の手から離れて、空に登っていく赤い風船を、皆んなが目で追って空を見上げたその先に
「解放」のシーンその2
「全て与えて帰ろう」
水の中の空気の粒のように、下から次々に沸き上がって灰色の空に登っていく無数の赤い風船をバックに、冒頭の初老の夫婦が、黒い衣装を着て踊る社交ダンス。
女性の唇とドレスにも、差し色として「赤」が使われていて
そこで、世界が一気にカラフルに変わります。
灰色の空に浮かぶ、たくさんの赤い色。
下から上へ、の移動。
優雅なダンスの動き。
これらは、観るひとの気持ちを「上げる」効果があります。
イメージとしては、「空を見上げる」は「希望」を。「赤い」色は「情熱」、「下から上への移動」は「軽さ」「変化」。「社交ダンス」は「人との繋がり」「楽しさ」「華やかさ」を見ている人に感じさせます。
風さんが帰ろうと歌う先の「幸せ絶えぬ場所」への道しるべを象徴してるのかもしれません。
皆んな、空を見上げて吹っ切れた表情になっていきます。何かを悟ったように微笑む人、今まで知らなかった世界を見て感動の面持ちの老夫婦。
やさぐれた風貌の男性も景色の変化に驚いています。
そして、人々は気づいていきます。
手を繋いで歩いてきた恋人たちは、その手をゆっくりと解いて離れていく。
旅支度の女性は、たくさんの荷物をそこへ置いて、前を向いて進みます。
松葉杖の男性もその杖を投げ出し、自分で歩き始めます。
この世界でカテゴリー分けされて生きてきた人たちは、その時が来たら、しがらみも捨てて自由になり、一人一人になっていく、そして先に進むのです。
「憎みあいの果てに何が生まれるの」
「わたしが先に忘れよう」
ラストは、ダンスを踊っていた二人も、踊りの延長のようにその手を離して、左右に離れていき、しっかりと握っている二つの手も、軽やかに別れていきます。
そして藤井風さんは問いかけるのです。
「今日からどう生きてこう」
投げかけられた問いを、私たちは毎日の生活の中で、どう探していく?
何を見つける事ができる?
探し方、実現の仕方は人それぞれです。正解は一つではなく、人の数だけあっても良いのではないでしょうか。
MV「帰ろう」から受け取ったメッセージ
私がこの曲から受け取ったメッセージは、
人が人生を終えてあちら側へ帰るときには、すべてを理解して、安心の中で帰っていける。
だから心配しないで何かにしがみつかなくて良いんだよ。
「帰る」ことは全ての人に与えられた幸福。
必要ないものは捨てて、軽やかに帰ろう。
という事でした。
藤井風さんは、繰り返し私たちの重荷を減らしてくれる言葉を歌っています。
「怖くはない、失うものなどない」
「最初から何も持ってない」
「去り際の時に何が持って行けるの」
「一つ一つ荷物手放そう」
(作詞作曲: 藤井風、2020年5月20日リリース1stアルバム「HELP EVER HURT NEVER」収録曲「帰ろう」より引用)
身体一つで産まれてきた私たちは、帰る時も何もいらない。ただただ手放して軽くなって安心して旅立てば良いのだ、と藤井風さんは歌います。
そして、私が特に印象深い歌詞が
「わたしが先に忘れよう」
という言葉。誰か人に促す前に、まず自分から、という姿勢が見えて、一人一人がその気持ちでいられたら、この世から憎しみの連鎖など消え去るはず。
難しい経典など知らなくても、人生の生き方を歌う風さんの楽曲は、聴く人に何か大切なことを気づかせてくれる、そんなステキな「人生の指針」のような曲だと、改めて思いました。
藤井風さんがこの世に出た意味、この曲に込めた想い
「この曲を出すまでは死ねん。」
と思っていたそうです。(若いのに!)そして
「この曲をMVとして視覚化することは、わしの死ぬ前にやりたいことリストの中にいつもありました」
とも。(まだ若いのに!!)
(二つとも「”帰ろう”って何なんKaze talks abous “Kaerou”」より)
風さんがYouTubeを使って地道に活動していた頃のことは、私はリアルタイムでは知らないのですが、彼がデビューして世に出たタイミングは、世界が感染症で混乱する時期。
英語を流暢に話す風さんは、日本だけでなく世界に向けてメッセージを配信していて、今の世界に波紋のような感動を、さざなみのような変化を、着々と与えてくれる存在なのかもしれません。
これからも、風さんの見ている世界観を、その歌声とメロディで私たちに見せて行ってほしいと思います。
最後に、藤井風さん自身の言葉を。
この曲では、自分にこう問いかけています。
「幸せに死ぬためにはどう生きたらええの?」
わしはまだもがいています。
だから生きてます。
だから、生きることをもがくことを諦めんでください。
きっと無事に、幸せに、安らかに帰れるから。
Thank You.
(“帰ろう”って何なんKaze talks about “Kaerou”より引用)